録でもない備忘録

ろくでもない人間が、ろくでもないことを呟く。

進撃の巨人が好き

*微ネタバレあり *ただの備忘録

いよいよ来月で完結。

進撃の巨人のテレビアニメシリーズは僕が中学3年生のときに始まった。当時、「人間が巨人という怪物を倒していくだけの物語」と小ばかにしながら流し見していたものだ。主要キャラが次々と巨人化していくのも当時は意味不明だったのを覚えている。当時未熟者ながら、本当に心底つまらないアニメだと思っていた。

認識が変わったのはシーズン3からだった。この期から本格的に「巨人との戦い」から「人間との戦い」へとシフトしていく。巨人との戦いを売りにしていたことから思わず「は?」と思ったものだが、話の進行とともに明らかになっていく世界の真相と怒涛の伏線回収に圧巻鳥肌で気づいたら大ファンになっていた。

「”強大な力を持つ巨人”も物語のキーの一つに過ぎず、蓋を開ければ人間同士のクソみたいな殺し合い」だった。ここまで世界観が作り込まれているとは思っていなかったものだから、この期は本当に毎話毎話が衝撃だった。

 

進撃の好きなところ1は、「世界から選択を強要される登場人物たち」。

この理不尽で残酷な世界では、どの登場人物も結果のわからない過酷な「選択」を迫られ、その「選択」について責任を持たなければならない。それが多大な犠牲を払う選択だったとしても、世界は「選ばない」という選択を許してくれない。哀れなものは何かのために理不尽に死んでいき、生き残った者は死者に死んだ意味を与え、自身が生き残った意味を問い続けなければならない。そこらへんの描写が現実的でシビアですごい。(この面で個人的にかなり好きなのは、エルヴィンの代わりに生き残ったアルミン、特攻命令で自分だけ生き残ったフロックの対比)。

 

進撃の好きなところ2は、「憎しみと許し」。

ファイナルシーズンまでを通し、この作品は「憎しみと許し」を一つの大きなテーマとして描いていると思っている。人が人を憎み、理解し、許すという「本来あるべき循環」を映し出しつつも、そこ(サシャ父曰く、森の外)へたどり着けない哀れな人間たちが容赦なく描かれる。しかも大胆なことに、この作品は「憎しみと許し」のうちの「(巨人への)憎しみ」の部分を前半すべてにかけて描いているため、後になって憎しみが持つ意味も大きく変わり、テーマに深みが増していく。人の優しさと冷酷さのサンドイッチ状態で頭がおかしくなるけど、実際の世界と比べながらいろいろ思考を巡らされる。

 

もっと語りたいけど、とりあえず完結後にまとめて追記したい。

諌山先生は化け物だと思う。最終話がとにかく楽しみだ。